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こんにちは。旅行宿泊探訪記、運営者の「TrekTide」です。
フランス旅行のハイライトといえば、多くの人がヴェルサイユ宮殿を思い浮かべるんじゃないでしょうか。そのきらびやかな姿は、まさに圧巻の一言ですよね。ところで、このヴェルサイユ宮殿が世界遺産だということはご存知だと思いますが、その具体的な理由について考えたことはありますか?ただ豪華だから、というだけではないんです。いつ登録されて、どんな登録基準を満たしているのか、またその背景にある歴史、例えばマリーアントワネットの物語や鏡の間が持つ意味など、知れば知るほど奥深い魅力が見えてきます。この記事では、ヴェルサイユ宮殿がなぜ世界遺産として認められたのか、その理由をさまざまな角度から紐解いていきます。
この記事でわかること
- ヴェルサイユ宮殿が世界遺産に登録された時期と具体的な基準
- 宮殿と庭園の圧倒的なスケールと芸術性の高さ
- フランス絶対王政から近代史に至るまでの歴史的な重要性
- ヨーロッパ諸国の文化や芸術に与えた大きな影響
ヴェルサイユ宮殿が世界遺産である理由と登録基準

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まずは、ヴェルサイユ宮殿が世界遺産としてどのような評価を受けているのか、基本的な情報から見ていきましょう。いつ、どのような基準で登録されたのかを知ることで、その価値の輪郭がはっきりと見えてくるはずです。
世界遺産に登録されたのはいつ?
ヴェルサイユ宮殿がユネスコの世界遺産に登録されたのは、1979年のことです。これは世界遺産条約が採択されてから比較的早い段階での登録で、フランス国内ではモン・サン・ミシェルやシャルトル大聖堂などと並んで、最初に登録された遺産の一つなんですね。
正式な登録名は「ヴェルサイユの宮殿と庭園(Palace and Park of Versailles)」。この名前からもわかるように、豪華な宮殿の建物だけでなく、あの広大なフランス式庭園も含めて一体として評価されているのが大きな特徴です。宮殿と庭園、この二つが揃って初めてヴェルサイユの魅力が完成する、ということなのかもしれませんね。
人類の傑作と認められた3つの評価基準
世界遺産に登録されるには、いくつかの評価基準のうち、一つ以上を満たす必要があります。ヴェルサイユ宮殿は、以下の3つの基準を満たしていると評価されました。
ヴェルサイユ宮殿の登録基準
- 登録基準(i): 人類の創造的才能を現す傑作。
- 登録基準(ii): 建築、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた。
- 登録基準(vi): 歴史上の重要な出来事、思想、信仰などと直接関連している。
少し難しい言葉が並んでいますが、簡単に言うと、「芸術作品として最高レベルだよ」「ヨーロッパ中の国々がお手本にしたよ」「フランスの歴史そのものを象徴する場所だよ」という3つのポイントで高く評価された、ということですね。これら一つ一つが、ヴェルサイ-ユ宮殿がただの古い建物ではないことを物語っています。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間が持つ芸術性
登録基準(i)「人類の創造的才能を現す傑作」を最も象徴しているのが、かの有名な「鏡の間」でしょう。長さ約73メートル、幅約10.5メートルの回廊の片側には庭園に面した17の窓が、そして反対側にはその窓を反射させる357枚もの鏡が飾られています。
今でこそ鏡は当たり前にありますが、17世紀当時は非常に高価な贅沢品でした。それをこれだけの数、惜しげもなく使っていること自体が、国王ルイ14世の絶対的な権力と富の象徴だったわけですね。天井にはルイ14世の功績を描いた壮大な絵画が広がり、無数のクリスタルがきらめくシャンデリアが吊るされています。太陽の光が窓から差し込み、鏡とシャンデリアに乱反射する光景は、まさに息をのむ美しさ。ここは芸術、富、権力のすべてが凝縮された空間なんです。
ここがすごい!宮殿と庭園の圧倒的スケール
ヴェルサイユ宮殿のすごさは、そのスケールの大きさにもあります。敷地全体の総面積は約800ヘクタール。これは東京ドーム約170個分に相当する広さです。宮殿内には2,300もの部屋があると言われていますから、驚きですよね。
そして、宮殿と同じくらい重要なのが、天才造園家アンドレ・ル・ノートルが設計した広大な庭園です。完璧な左右対称にデザインされたフランス式庭園の最高傑作と言われ、幾何学的な花壇や水路、そして大小さまざまな噴水が配置されています。この庭園は、自然を人間の理性でコントロールするという、当時の絶対王政の思想を体現しているとも言われています。宮殿から庭園を眺めた時の、どこまでも続くかのような壮大な景色は、まさに圧巻です。
ヨーロッパ諸国に与えた文化的な影響
登録基準(ii)にあるように、ヴェルサイユ宮殿はヨーロッパ中の宮殿建築に絶大な影響を与えました。プロイセンのフリードリヒ大王が建てた「サンスーシ宮殿」や、オーストリアのハプスブルク家が築いた「シェーンブルン宮殿」などは、ヴェルサイユ宮殿を模範にして造られたことで有名です。
影響は建築様式だけにとどまりません。ヴェルサイユで行われた豪華な宮廷儀式やマナー、ファッション、バレエといった文化もヨーロッパ各国の王侯貴族たちの憧れの的となり、フランス文化がヨーロッパのスタンダードとなるきっかけを作りました。まさに、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ文化の発信源だったわけですね。
歴史が物語るヴェルサイユ宮殿の世界遺産の理由

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ヴェルサイユ宮殿の価値は、その芸術性やスケールだけではありません。フランス、ひいては世界の歴史を揺るがす数々の重要な出来事の舞台となってきました。その歴史的な重みこそが、世界遺産たる理由をより一層深いものにしています。
フランス絶対王政を象徴する場所
ヴェルサイユ宮殿といえば、やはり「太陽王」ルイ14世の存在を抜きには語れません。彼がこの地に壮大な宮殿を築いたのには、明確な理由がありました。
もともとパリのルーヴル宮殿に住んでいたルイ14世ですが、若い頃に貴族たちが起こした「フロンドの乱」という反乱を経験し、パリと貴族たちに不信感を抱くようになります。そこで、パリから離れたヴェルサイユの地に新たな政治の中心地を築き、全国の有力な貴族たちを宮殿内に住まわせることで、彼らを監視し、その力を削ごうと考えたのです。
貴族たちは、王の寵愛を得るために豪華な宮廷儀式やエチケットに明け暮れることになります。こうしてヴェルサイユ宮殿は、王の権力が隅々まで行き届いた、フランス絶対王政の象徴的な場所となったのです。
ヴェルサイユ宮殿の壮大な歴史の始まり
意外に思われるかもしれませんが、ヴェルサイユの始まりはとても質素なものでした。もともとは、ルイ14世の父であるルイ13世が、狩猟を楽しむための休憩所として建てた小さなレンガ造りの館だったんです。
父王が気に入っていたこの土地を、息子のルイ14世が受け継ぎ、1661年から半世紀近くにもわたる大規模な増改築を開始します。建築家や画家、彫刻家、造園家など、当代一流の芸術家たちが集められ、あの壮麗な宮殿と庭園が造り上げられていきました。一つの小さな館が、一人の王の強烈な意志によって、世界史に残る大宮殿へと変貌を遂げたのですね。
マリーアントワネットの華麗と悲劇の舞台
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットが生きた場所としても有名です。オーストリアから嫁いできた彼女にとって、厳格な宮廷儀式に縛られたヴェルサイユでの生活は、息の詰まるものだったと言われています。
そんな彼女が心の安らぎを求めたのが、宮殿の敷地内にある離宮「プチ・トリアノン」や、その近くに造らせた「王妃の村里(アモー・ドゥ・ラ・レーヌ)」でした。ここでは、田舎家や農園が作られ、彼女は気の置けない友人たちと田舎風の質素な暮らしを演じて楽しんだとされています。
しかし、彼女の華やかな生活や浪費は、国民の反感を買い、やがてフランス革命の引き金の一つとなります。革命勃発後、民衆に連行されてヴェルサイユ宮殿を去った彼女が、再びこの地に戻ることはありませんでした。ヴェルサイユは、彼女にとって華麗な舞台であると同時に、悲劇の始まりの場所でもあったのです。
マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノンや王妃の村里は、現在も一般公開されており、宮殿本体とはまた違った、のどかでプライベートな雰囲気を味わうことができますよ。
第一次世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約
フランス革命後、宮殿はその主を失いますが、歴史の重要な舞台として再び脚光を浴びることになります。それが、1919年の第一次世界大戦の講和条約、「ヴェルサイユ条約」の調印式です。
調印式の会場として選ばれたのは、皮肉にもあの「鏡の間」でした。なぜ皮肉かというと、約50年前の1871年、フランスがプロイセンとの戦争に敗れた際、プロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝としての即位式をこの「鏡の間」で行い、フランス国民に大きな屈辱を与えたという過去があったからです。
その屈辱の場所で、今度はドイツに対して厳しい講和条約を結ぶ。ここには、フランスの雪辱の思いが込められていたと言えるでしょう。このように、ヴェルサイユ宮殿は王政の終わりだけでなく、近代史の大きな転換点をも見届けてきた場所なのです。
壮麗さが物語るヴェルサイユ宮殿の世界遺産の理由
ここまで見てきたように、ヴェルサイユ宮殿が世界遺産である理由は、単に建物が豪華で美しいから、というだけではありません。
ルイ14世の絶対王政の象徴として、ヨーロッパ中の文化や芸術に絶大な影響を与えた「文化的な価値」。そして、フランス革命や第一次世界大戦の終結など、世界の歴史を大きく動かした出来事の舞台となった「歴史的な価値」。この二つの大きな価値が融合しているからこそ、人類共通の宝物として守り伝えていくべき世界遺産と認められているのですね。
もしヴェルサイユ宮殿を訪れる機会があれば、ぜひその壮麗な美しさだけでなく、壁や柱の一つ一つに刻まれた激動の歴史にも思いを馳せてみてください。きっと、新たな感動と発見があるはずです。
この記事で紹介した歴史的な解釈や年代などについては、諸説ある場合もございます。より専門的で正確な情報については、公式サイトや公的な資料をご確認いただくことをお勧めします。