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こんにちは。旅行宿泊探訪記、運営者の「TrekTide」です。
スコットランドとイギリスが仲悪いと言われる理由、気になりますよね。その背景には、単にイングランドとの仲が悪いというだけでなく、長い歴史の中で起きた出来事や、なぜ連合王国になったのかという経緯、さらには宗教や文化の違いが複雑に絡み合っています。最近ではブレグジットをきっかけに独立の動きが再燃し、サッカーやラグビーでの熱い戦いぶりも、この関係性を象徴しているように感じます。
私自身、スコットランドのエディンバラやハイランド地方を旅したとき、地元の人々の強い愛国心や、イングランドに対する独特の感情を肌で感じることがありました。同じ「イギリス」という国なのに、どうしてこれほどまでに違うのだろう?と疑問に思ったのが、このテーマに興味を持ったきっかけです。
この記事では、そんなスコットランドとイギリスの複雑な関係について、歴史的な背景から現代の問題まで、旅行好きの視点も交えながら分かりやすく解説していきますね。
VisitScotland - Scotland's National Tourist Organisation ...
この記事でわかること
- スコットランドとイングランドの長年にわたる対立の歴史
- 連合王国成立後も根強く残る文化や国民性の違い
- 現代の独立問題に繋がる経済的・政治的な要因
- スポーツの世界で特に顕著に見られる熾烈なライバル関係
スコットランドとイギリスが仲悪いと言われる歴史的背景

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まず、二つの国の関係を理解するためには、どうしても歴史を遡る必要があります。ここが一番の根っこと言ってもいいかもしれません。数々の戦争や対立を経て、今の関係性があるんですね。
スコットランドの歴史と長く続いた戦争
スコットランドと、南にあるイングランド。この2つの国の対立の歴史は、なんとローマ帝国時代まで遡るとも言われています。
特に決定的な対立となったのが、13世紀末から始まったスコットランド独立戦争です。映画『ブレイブハート』で描かれたウィリアム・ウォレスや、その後の王となるロバート・ブルースといった英雄たちが、イングランドの支配に激しく抵抗しました。この戦いはスコットランドの人々の心に、「イングランドからの自由を勝ち取った」という強烈な原体験として刻まれています。
その後も断続的に争いは続き、お互いに「支配しようとするイングランド」と「抵抗するスコットランド」という構図が、長い間続いてきたわけです。この歴史的な記憶が、現代に至るまでの不信感の根底にあるのは間違いないかなと思います。
同君連合から合同へ
1603年、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド女王エリザベス1世の跡を継ぎ、イングランド王ジェームズ1世として即位。これにより、両国は同じ王をいただく「同君連合」となりました。しかし、この時点ではまだ別々の国で、議会も法律も異なっていました。あくまでトップが同じになっただけ、という状態だったんですね。
イギリスはなぜ4つの国で構成されるのか
そもそも「イギリス」って、正式名称を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と言います。なんだかすごく長い名前ですよね。
この名前の通り、イギリスは以下の4つの「国(country)」が集まってできています。
- イングランド
- スコットランド
- ウェールズ
- 北アイルランド
それぞれが独自の歴史、文化、そして法制度や教育制度まで持っています。サッカーやラグビーのワールドカップにそれぞれが別のチームとして出場するのも、元々は別の国だったことの表れなんですね。日本に住んでいると「単一国家」という意識が強いので、この感覚は少し不思議に感じるかもしれません。
イングランドとの文化や国民性の違い
歴史が違えば、文化や国民性も当然変わってきます。スコットランドとイングランドの間には、今でもはっきりとした違いが見られます。
例えば、宗教。イングランドは「イングランド国教会」が中心ですが、スコットランドは長老派の「スコットランド国教会」が中心で、歴史的にもカトリックの影響が強く残る地域もあります。この宗教的な違いも、過去の対立の一因となってきました。
また、一般的に言われる国民性のイメージとして、スコットランド人は「陽気で人懐っこい」、イングランド人は「皮肉屋で少し距離を置く」なんて言われたりします。もちろん、これはあくまでステレオタイプで、一概には言えませんが、旅行者として訪れた際にも、なんとなく雰囲気の違いを感じることはあるかもしれませんね。
スコットランドには、英語とは別に「スコットランド語」や「スコットランド・ゲール語」といった独自の言語も存在します。こうした言語の存在も、彼らのアイデンティティを強く形作っています。
合同法による連合王国成立の経緯
同じ王様をいただく「同君連合」だったスコットランドとイングランドが、一つの国になったのは1707年の「合同法」がきっかけでした。
しかし、これはスコットランドの人々が心から望んだ「対等な合併」とは少し違ったようです。当時、スコットランドは海外での植民地計画(ダリエン計画)に失敗し、経済的に非常に困窮していました。その弱みに付け込むような形で、イングランドが財政支援と引き換えに合同を迫った、という見方が強いんですね。
この合同によってスコットランド議会は解散させられ、ロンドンのウェストミンスター議会に吸収される形となりました。この「国を売られた」という感情が、後々まで尾を引くことになります。
スポーツにおける熾烈なライバル関係
歴史や政治の話は少し難しいかもしれませんが、二つの国のライバル関係が一番分かりやすく表れるのがスポーツの世界です。
特にサッカーとラグビー。世界で最初のサッカー国際試合は、1872年に行われたスコットランド対イングランド戦でした。ラグビーでも、毎年行われる「シックス・ネーションズ」での対戦は、両国のファンにとって特別な意味を持ちます。
スタジアムに響き渡るスコットランド国歌「スコットランドの花」は、イングランド軍を打ち破った独立戦争の歴史を歌ったもの。試合前、選手もサポーターもこれを大合唱する姿は、まさにイングランドへの対抗心の表れと言えるでしょう。オリンピックでは「チームGB(イギリス代表)」として一緒に戦うのに、不思議な感じがしますよね。
現代に続くスコットランドとイギリスの仲悪い関係

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さて、歴史的な背景を踏まえた上で、現代に続く問題を見ていきましょう。なぜ今もなお、スコットランドでは独立を望む声が根強く残っているのでしょうか。
なぜスコットランドは独立を望むのか
スコットランド独立を望む声の根底にあるのは、やはり「自分たちの未来は自分たちで決めたい」という強い自治意識と、歴史の中で育まれた独自のアイデンティティです。
政治的な価値観の違いも大きな要因です。スコットランドは伝統的に中道左派〜左派の傾向が強く、福祉を重視する政策を支持する人が多いと言われています。一方で、イギリス全体の政治は、人口の多いイングランドの意向が強く反映されがちで、保守党政権が続くことが多いです。この政治的な「ねじれ」が、ロンドンの中央政府に対する不満につながっています。
EU離脱、ブレグジットが与えた影響
この独立の動きに再び火をつけたのが、2016年のブレグジット(イギリスのEU離脱)です。
国民投票の結果、イギリス全体では離脱派が勝利しましたが、スコットランドでは62%がEU残留を支持していました。つまり、「スコットランドはEUに残りたいのに、イングランドのせいで無理やり離脱させられた」という不満が爆発したわけです。
独立後のEU再加盟というシナリオ
独立派の主な主張の一つは、「イギリスから独立して、スコットランド単独でEUに再加盟する」というものです。これが現実的なのかどうか、経済的な影響はどうなのか、様々な議論が続いています。
このブレグジット問題は、スコットランドとイギリス政府との間の溝を、決定的に深める出来事となってしまいました。
北海油田の利権をめぐる経済問題
経済的な問題も無視できません。スコットランド沖の北海では、1970年代から石油や天然ガスが採掘されており、これらはイギリスにとって重要な資源となっています。
独立を推進するスコットランド国民党(SNP)は、長年「It's Scotland's oil(それはスコットランドの石油だ)」というスローガンを掲げてきました。つまり、北海油田から得られる莫大な利益は、スコットランドが独立すれば全て自分たちのものになり、国として十分にやっていける、と主張しているのです。
ただ、この主張には反論もあります。近年の原油価格の変動や、資源の枯渇問題もあり、北海油田だけでスコットランド経済が安泰とは言えない、という意見も根強くあります。この利権問題は、独立をめぐる議論の大きな争点の一つです。
スコットランド独立住民投票という現実
こうした独立への機運の高まりを受け、2014年には実際にスコットランド独立を問う住民投票が行われました。
世界中が注目したこの投票は、
- 独立反対:55.3%
- 独立賛成:44.7%
という結果で、独立は否決されました。「これで一件落着」と思われたのですが、先ほどお話ししたブレグジット問題が浮上し、状況は一変します。
スコットランド国民党は、「EU離脱という重大な状況変化があった」として、2度目の住民投票の実施を強く求めています。イギリス政府はこれを拒否し続けており、両者の対立は今も続いています。
スコットランドとイングランドの現在の関係
ここまで見ると、なんだかものすごく険悪な関係に思えるかもしれません。確かに、政治レベルでは緊張関係が続いています。
しかし、国民一人ひとりのレベルで見ると、また違った側面もあります。両国間の人々の行き来は自由ですし、イングランドで働くスコットランド人、スコットランドで学ぶイングランド人もたくさんいます。結婚して家族になっている人たちも、もちろん大勢います。
国としての政治的な対立と、日々の市民レベルでの交流は、必ずしもイコールではないんですね。このあたりが、この問題の複雑で興味深いところかなと思います。
まとめ:スコットランドとイギリスが仲悪い理由の根源
最後に、スコットランドとイギリスが仲悪いと言われる理由をまとめてみましょう。
仲が悪いとされる理由の根源
- 歴史的な対立:イングランドによる支配と、それに抵抗してきた長い戦争の記憶。
- 不平等な合同:経済的な弱みに付け込まれる形で成立した連合王国への根強い不満。
- アイデンティティの違い:文化、宗教、国民性など、根本的な価値観の違い。
- 政治・経済的な利害の対立:ブレグジットや北海油田の利権をめぐる現代的な問題。
これらの要因が複雑に絡み合い、単純に「仲が悪い」という一言では片付けられない、深く根差した関係性を生み出しています。
次にあなたがイギリスを訪れる機会があれば、あるいはサッカーやラグビーの試合を観戦する機会があれば、ぜひこうした歴史的背景を思い出してみてください。きっと、今までとは少し違った視点で、彼らの文化や情熱を感じ取ることができるはずですよ。