
イメージ画像:旅行宿泊探訪記 作成
こんにちは。旅行宿泊探訪記、運営者の「TrekTide」です。
透き通るような美しい海に囲まれた島国パラオ。ダイビングや自然を満喫できる楽園として知られていますが、同時に「世界有数の親日国」としても有名ですよね。しかし、インターネットで調べてみると、パラオの親日は嘘だ、という気になる言葉を目にすることがあります。「パラオは本当に親日なの?それとも作られた話?」と疑問に思う方もいるかもしれません。特に、なぜそう言われるのかという理由や、パラオの国旗の由来、さらにはペリリューの戦いといった歴史的背景、そして近年気になるパラオと中国の関係まで、様々な情報が飛び交っていて、何が本当なのか分からなくなってしまいますよね。
この記事でわかること
- パラオが親日国と言われる歴史的・文化的背景
- 「親日 嘘」という言説が生まれる具体的な理由
- 世代交代や国際関係の変化がもたらす影響
- 多角的な視点から見えてくるパラオの今の姿
「パラオ 親日」は嘘?その言説が生まれた背景

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まず、「パラオは親日国だ」と言われるようになった背景から見ていくのが良さそうですね。単純に「雰囲気が良いから」というわけではなく、歴史や文化、経済的な繋がりなど、様々な要因が複雑に絡み合っているようです。このポジティブな側面を知ることが、議論の出発点になるかなと思います。
なぜパラオは親日国と言われるのか
パラオが親日国と言われる理由は、一つではありません。大きなものとしては、日本の統治時代に築かれた社会インフラ、第二次世界大戦中のペリリューの戦いで生まれたとされる日本兵と島民の絆、そして独立後の日本による手厚い経済支援(ODA)などが挙げられます。さらに、パラオの言語や文化には今でも日本語や日本文化の影響が色濃く残っていて、現地を訪れると日本語が通じる場面も少なくありません。これらの歴史的、経済的、文化的な結びつきが、パラオの人々の対日感情の根底にあると言われていますね。
日本統治時代が築いた社会の基盤
パラオは第一次世界大戦後、1920年から1945年まで日本の委任統治領でした。この約25年間で、日本はパラオの近代化を大きく進めたと言われています。具体的には、学校や病院、道路、電気、水道といったインフラ整備が行われました。教育制度が導入され、多くのパラオの人々が日本語を学び、日本の文化に触れる機会を得たのもこの時期です。もちろん、統治という形には様々な側面がありますが、この時代に築かれた社会基盤が、現代パラオの発展の礎になったと評価する声が多いのは事実のようです。
ペリリューの戦いで生まれた特別な絆
パラオと日本の関係を語る上で、第二次世界大戦末期の「ペリリューの戦い」は避けて通れません。この島では、日米両軍による壮絶な戦闘が繰り広げられました。激しい戦いが始まる前、日本軍の司令官だった中川州男大佐は、島民を安全な場所に避難させたと言われています。食料も乏しい中、島民の安全を優先したこの決断は、多くのパラオの人々の心に深く刻まれました。戦後、ペリリュー島には「西太平洋戦没者の碑」が建てられ、2015年には天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)が慰霊のために訪問されるなど、この地で生まれた特別な絆は今も大切に語り継がれています。
ペリリューの戦いとは
1944年9月から11月にかけて、パラオ諸島のペリリュー島で行われた日本軍とアメリカ軍の戦い。日本軍約1万名、アメリカ軍約4万名以上が投入され、日本軍はほぼ全滅するという熾烈な戦闘でした。この戦いは、パラオと日本の歴史を考える上で非常に重要な出来事とされています。
パラオの国旗は日本がモデルという説
パラオの国旗について、面白い説があるのをご存知でしょうか。青い地に黄色い満月が描かれた美しいデザインですが、これが日本の日の丸に敬意を表して作られたというものです。
この説によれば、日の丸と同じデザインでは畏れ多いということで、黄色い円(月)を少しだけ中央からずらしてデザインしたと言われています。なんとも日本人としては嬉しくなるエピソードですよね。
国旗の公式見解は?
実は、この「日の丸モデル説」は、パラオ政府によって公式に認められているわけではありません。公式には、青はパラオを取り巻く美しい海、黄色い円は満月と、パラオの人々にとっての収穫や平和の象徴とされています。しかし、この説が多くの人々に語り継がれていること自体が、両国の良好な関係性を物語っているのかもしれませんね。
ODA(政府開発援助)が支える関係
1994年の独立以降、日本はパラオに対して多額の政府開発援助(ODA)を行ってきました。その象徴とも言えるのが、コロール島とバベルダオブ島を結ぶ「日本・パラオ友好橋(通称:KBブリッジ)」です。かつてあった橋が崩落し、国の東西が分断されるという危機に陥ったパラオを救ったのが、日本の支援によるこの橋の建設でした。他にも、空港の整備や電力供給、漁業支援など、日本のODAはパラオの国づくりに欠かせないものとなっています。こうした継続的な支援が、パラオの人々の日本に対する感謝と信頼に繋がっているのは間違いないでしょう。
文化や言語に残る日本の影響
実際にパラオを旅すると、日常の様々な場面で日本の影響を感じることができます。例えば、パラオ語には日本語から借用した言葉がたくさんあります。
- Daijobu(大丈夫)
- Denwa(電話)
- Bento(弁当)
- Tsukareta(疲れた)
- Aji(味)
など、数え上げればきりがありません。食文化にも影響は見られ、「サシミ」や「テンプラ」は人気のメニューだそうです。こうした文化的な親近感も、パラオを親日国と感じさせる大きな要因の一つかなと思います。
多角的視点から見る「パラオ 親日 嘘」の真実

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さて、ここまでパラオが親日国と言われる理由を見てきましたが、ここからは「嘘」という言説がなぜ生まれるのか、その背景にある少し複雑な事情に目を向けてみたいと思います。物事には光があれば影もあるもの。一方的な見方だけでなく、多角的に捉えることが大切ですね。
日本統治時代の皇民化政策という側面
日本の統治時代がパラオの近代化に貢献したという側面がある一方で、忘れてはならないのが「皇民化政策」という負の側面です。これは、パラオの人々を「日本人」に同化させようとする政策で、日本語教育の強制や、神社への参拝、日本の姓名への改名などが進められました。
文化の強制という視点
こうした政策は、パラオ固有の文化や伝統を軽視するものだったという批判があります。統治時代の恩恵を受けた記憶を持つ世代がいる一方で、自分たちの文化が抑圧されたと感じた人々がいたことも、歴史の事実として知っておく必要があるでしょう。親日という大きな流れの中にも、こうした複雑な感情があったことは想像に難くありません。
パラオにおける反日感情は存在する?
では、現在のパラオに明確な「反日感情」は存在するのでしょうか。結論から言うと、国全体として組織だった反日感情は、ほとんどないと言っていいと思います。多くのパラオの人々は日本人に対して友好的ですし、歓迎してくれます。しかし、だからといって全ての人が日本を手放しで称賛しているわけではありません。先ほど述べた統治時代の歴史認識の違いや、個人の経験から、日本に対して複雑な感情を抱いている人が皆無とは言い切れないでしょう。「親日」という大きな括りでは見過ごされがちな、個々の多様な考え方が存在するというのが現実かなと思います。
影響力を増すパラオと中国の関係
近年の国際情勢、特に中国の海洋進出と経済的な影響力の増大は、パラオと日本の関係にも変化をもたらす要因となっています。パラオは台湾と国交を結んでいる数少ない国の一つであり、中国は台湾と断交するよう様々な形で圧力をかけていると言われています。中国資本による観光開発や、中国人観光客の急増は、パラオ経済に大きな影響を与えています。日本との友好関係を維持しつつも、巨大な隣国である中国とどう向き合っていくのか。これはパラオにとって非常に重要な課題であり、その動向が対日感情に影響を与える可能性もゼロではありません。
世代交代による対日感情の変化
もう一つ大きな要因が、世代交代です。日本統治時代を直接知る世代は年々少なくなっています。彼らにとって日本は、生活の基盤を作り、共に戦った記憶を持つ特別な国でした。しかし、戦後に生まれた若い世代にとって、日本はアニメやJ-POPで知られる「クールな国」ではあっても、歴史的な繋がりを持つ特別な国という意識は薄れつつあるかもしれません。
もちろん、学校教育で歴史を学び、祖父母から話を聞くことで日本への親近感を抱く若者も多いでしょう。しかし、かつてのような強固な絆が、未来永劫続くとは限らないという視点も必要ですね。
パラオの日系人が抱える複雑な想い
パラオには多くの日系人が暮らしており、大統領経験者にも日系人がいるなど、社会的に重要な役割を担っています。彼らは日本とパラオの架け橋となる重要な存在です。しかし、彼らの内面には複雑な想いがあることもあります。「日本人」でもなく、「純粋なパラオ人」でもないというアイデンティティの葛藤や、両国の間で板挟みになるような経験をすることもあるかもしれません。彼らの存在を単なる「親日の象徴」として見るのではなく、その複雑な背景にも思いを馳せることが、より深い理解に繋がるのではないでしょうか。
結論:「パラオ 親日 嘘」の二元論を超えて
ここまで様々な角度から「パラオ 親日 嘘」というテーマを見てきました。結論として、この問題を「親日か、嘘か」という単純な二元論で語ることはできない、と私は思います。
私たちの持つべき視点
パラオと日本の間には、統治時代から続く歴史的な絆や、ODAを通じた経済的な結びつき、文化的な親近感といった紛れもない「親日」の土壌があります。一方で、統治時代の負の側面や、世代交代による意識の変化、そして中国の台頭といった、関係性を複雑にする要因も存在します。
「親日国」という言葉の響きに甘えることなく、歴史の光と影の両方を理解し、変化する国際関係の中でパラオがどのような立場にあるのかを知ること。そして何よりも、一人ひとりのパラオの人々と誠実に向き合うこと。私たち旅行者や、日本にいる一人ひとりがそうした視点を持つことが、未来に向けた本当の友好関係を築いていく上で、最も大切なことなのかもしれませんね。
この記事で紹介した情報はあくまで一つの側面であり、最終的なご判断はご自身の見聞やさらなる情報収集を通じて行っていただければと思います。